地学雑誌



01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 (第145巻 黄尾嶼 - 宮嶋幹之助)
01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 (第146巻 黄尾嶼 - 宮嶋幹之助)
01 02 03 04 05 06 07 08 09 (第217巻)



--- 第145巻 ---


第五章 動物

前に●言へる如く、本島は黒潮の流中に介在するを以って、魚族の群集又少なからず。表遊魚には「カツヲ」(Thynnus pelamys, C.& V.)「シイラ」(Coryphaena hippurus I.)あり。予等在島間、食卓に●上しは即ち此魚なり。 其他沿岸●處に限らるる魚類数種を認めしも、其種名を詳にせず。島の根には珊瑚族発育し、●も噴出岩の巨塊を石灰にて結合したるの観あり。汀辺に至りて見れば、岩隙は 深く、或は●くして●水を満たし、小●をなす。其四壁には、 Astraepoia, Meandrina 等の多放射珊瑚の一面に着生するあり。 種々の色彩の水●は伸出して五色の池をなす。少しく深き底には Madrepora の褐色の水●を出すあり。退潮の後、更に新たなる水の此潭池に注き来るあれば、無量の水●は一時に出揃いて、紅紫緑色の百花の咲きたるが如く、実に自然界の美を茲に集めたるの観あり。

岩隙の聞には扁平なる甲を有する蟹の一種 Platygrapsus, depressus, Stimpson(此種は鹿児島県下の南部海岸に多し)の横様に疾走するあり。珊瑚塊を破壊すれば、種々の部門に属する微細なる動物の●●として出て来るを見る。 尤愉快なるは珊瑚に寄生する小蟹類にして、其種類の多きと、その色彩の多様なるとは、実に驚くに余りあり。珊瑚の色と、之に寄生する蟹の躰色どは、実に能く類似して、保護色の一好例たり。殊にSeriatoporaと称する珊瑚は樹枝状をなし、其枝端細く諸處に恰も樹木の枝に見る没食子の如き球体あり。精細に撿するに球状の膨らみに二小孔ありて、此中に小蟹住居するなり。 此擬は終生此中に留まりて、外に出つることなし。試に之を出し撿すれば、その甲は極めて軟くして、此の如く充分なる保護物の中にあらざれば棲息する能はざるものの如し。 本邦内地の海演には容易に見得可からざる赤色の「クダサンゴ」{Tubipora musica,(L)}は、水の足を没するに至らざる位の浅處に●生して、 其水●或は縮み、或は長く伸出して、羽状の八●手の開ける状又実に一偉観たり。此れの如く珊瑚族の多きに係らず、本邦の近海沿岸に普通なる「イソギンチャク」類の少なきは、著しき事実にして、予は遂に一も発見する能はざりき。

岩礁の表面及び下には、大小種々の類あり。Patella の偉大なる者は波浪烈しき岩面に着生す。又岩上に着生する者の中、一種の「カキ」と同種なり(学友脇谷洋二郎氏の鑑定による)。尚汀を離れ五六尋の深き処は、「ヤクカヒ」(夜光介)(Turbo olearius, L.)可なり多く棲息す。此介殻は質美麗なるを以て、磨きて種々の器具に製せらる。海外輸出品の一なれば、又以て本島の一物産とするに足る。 島上は植物の少からざると共に、絶海の孤島の割合には、比較的昆虫類に富めり。最吾人の多くして実にうるさく感じたるは、「キン」縄の一種にして、其の数幾万なるやを知らず。黒岩氏の記事中に見ゆる魚釣島の縄とは同種ならん。食物等に猬集するは勿論にして、予の最も苦しみたるは鳥類を剥製するの際、四円に群集し来り、直に鳥の皮上に産卵し、之を追拂ふに●あらざりし事是なり。是れ疑もなく鳥屍体の累積によりかくは驚く可ぎ縄の増殖を来せし者なるぺし。夜間蚊は少からざるにあらざれども、之を書間の縄に比すれぱ、九牛の一毛のみ。又為めに安眠を妨げらるるに至らず。

蝶類は産すれども予の目撃せしは僅かに三種(カバマグラ)(Daneis chrysippus, L.);アカタテハ(Pyramis indica, Moore);及びシジミテフの一種(Lycaena sp.)にすぎず。中「カバマダラ」は八重山産に比して小差異あり。尚他には数種を産するなる可し。且つかかる弧島のことにして蝶類は飛翔カの弱きものなれば、蝶類の形態並びに生態上上等に関して面白き現象ありと思●せらる、然れども、予が獲たる材料極めて●く、考究に資するに至らす。蛾の一種白色の者あり、極めて多く、灌木等を一打すれぱ数百の蛾の飛立を見たり。

次に●●類(甲虫)の比較的に種類に富めるは注意す可き点なり。殊に肉食性の種類少なくして、植物の茎葉等を食する天牛科(Ceambycidae)及び象鼻科(Curculionidae)のもの多きは著しとなす。予の採集品未だ調査を経されぱ他地方、殊に沖縄島の甲●の種類と比較研究する能はず。従って未だ確知し難きも、本島の昆虫殊に此甲●の如きは、陸島渡来と関係ある者にはあらざるなきや。暫く後の考究を待つ。

陸棲の小動物中記す可きは、蜥蜴の多きことにして、石下朽木等の裏には必ず見らる。種類も三四種は之れある可し。蜥蜴も亦少からず。未だ種名を詳にせざれども、確に二種類あり。●牛は種類少けれども個数に於て可なり多く、介殼の大さ並に厚さの比較的に著しきを認む。予の採集品末だ専攻家の査定を経ざれぱ茲に種名を挙ぐる能はず。

脊椎動物に至りては、島上一の淡水なきか故に、魚類は勿論両生類を見ず。爬虫類にありては、唯二種の蜥蜴を獲たるのみ。一は本邦到處に普通なる「トカゲ」、Eumeces Marginatus, Hallowにして形小なり。一は大なる種にして Lygosoma pellopleurum, Hallow と云う。この種は沖縄島に産し、且つ先年飯島博士台湾探検の際獲られしものと同種なり。此種の動物の分布如斯絶海の孤島に及ぺるは、注意するに足る。但し大島より沖縄島に普通なるJapalura polygonata, Hallow(沖縄方言アカター)は一も発見せず。且つ南小島には多き蛇(何種?)も此島には棲息するを知らず。

鳥類殊に海禽類は、本島の主要なる棲息者にして、其種類は多からざれども、其個数に於ては予等が●て目堵せしことなき、否想像だにも浮ぱざる巨数にして、全島は鳥を以て充たざると称するも虚言にあらず。実に一大奇観たり。海禽類の外に他島より漂翔し来たれる、陸棲の鳥二三あり。

沖縄本島に普通なる「リウキウカラスバト」(Carpophaga Jouyi, Stej.)は五月十六日に初めて渡来 し。其後日を追ふて其の数を●せり。「キジバト」は唯一回其の姿を見しのみにて得ず。「カラス」は何種なるや不明なれども、確に其鳴声を聞きたり。その他 Cettia に類する小禽及び「ミヤマシヨウビン」の一種とを認め林中に追跡せしも、遂に穫ず。その類を確かむる能はず。予か採集せる鳥類は、他地方に於けるが如く、銃器又は其他の器具を使用して穫たるにあらず。皆之を手●したるなり。殊に「チウシヤクシギ」(Numenius paeopus, Scop.)及び「ヨシゴヰ」(Ardetta eurhythma, Swinh.)は、島内巡回の際最中に之を拾ひたり。当時鳥は全く飛翔並に歩走力だも有せざりき。 是れ渡島後間もなき鳥にして海上遥かに飛来りて疲労の極かくは容易に●はれたる者ならん。又拾ひし鳥に台湾到處に普通のBuchanga atrn, Flerm.と称する黒き小島あり。 之れ八重山並に沖縄島等には産せざる種なれば、台湾よりさまよい来りしならん、予等着島前捕ひたりしとて、一羽の美麗なる「アカオテツタイテウ」(Phaeton rubricauda, Bodd)あり。在島者等も、●めて見し者なりと伝えり。此島は本邦にありては小笠原群島に於て穫らるることありと閲く。之も亦まぐれ来りし者なる可し。本島棲息の海禽類に就いては、特に后條に於て述ぷる処あれば、茲には鳥類一般の事を記すのみ。

本島には哺乳類一つも産せず、オホカハホリ(Pteropus. keraudrenii, Peters. var loochooensis, Gray ?)は魚釣島に棲息する由なれども、本島には未だ見たることなし。唯独り家猫の野生の状に変せし者多きを見る去明治廿八年頃漁船此島に来りしことあり。船中に雌雄の猫を飼置きけるが、船の着島するや猫は直ちに島上に逃れ去りて、●り来らず、止むなく其ままに放置せりと云ふ。雌雄二頭の猫今や繁殖し、体軀は狭長に、性は猛悪となり、畫は岩窟樹林の中にかくれ、夜間出てて島上に宿れる禽類を襲う。予は島上各處に鳥の屍体の、頭部のみ傷きて横はるを多く目撃せり。●し之れ猫の所業にして、猫は鳥の体中尤緊要なる脳を好む者と見ゆ。元来島地に、他より動物を輸入するは極めて危険のことにして其結果実に恐る可き者あり。現に猫を輸入して意外の影况を来したる例は「ノヴアスコシア」の沖にある「セーブル」島「アルダブラ」島(マダガスカル島の北西凡そ二十英里に位す)及び「チヤザム」島(ニュージーランドの東岸より五百英里)等にあり「セーブル」島にては千八百八十年に猫を範入せしが、速に繁殖し、為めに従来棲息せる兎は、全く其の跡を絶てり。又「アルダブラ」「チヤザム」の二島には、猫輸入後五六十年にして、島同有の島類は已に滅亡に帰せりと云う。故に本島の猫は島類の繁殖上に大害を来すや必せり。今仮りに雌雄の猫が毎年二回平均四匹の子を産む者とし、其繁殖を計算するに実に次の如し(但し猫は生後一年の後生殖する者とし、且つ便宜の為め生るる猫の雌雄は相等しき者とす)

親猫子猫
第一年目(二十八年)202
第二年目(二十九年)6410
第三年目(三十年)222042
第四年目(三十一年)8684170
第五年目(三十二年)342340682
第六年目(三十三年)136613642730

猫輸入後僅かに六年にして、巳に合計2730匹の巨数となる割合なり。仮に其中生育せざ る者あり、或は半途にして●るる者ありとし、之を除算するも二千頭の猫は此小島中に棲息する次第なり。本島の主要なる物産は鳥なるに。此の如き大害ある猫の●多生存し、暴爪●牙と●にする、●塞心気ざるを得んや、已に前者の覆るあり。后車たる者最此猫撲滅の策を計る可きなり。



--- 第146巻 ---



本島にありて最多きは海鳥なるが、其の主要なるもの五種あり。而して此等の海鳥は皆茲に於て生殖。其盛時には全島鳥を以て充たさるるの観あり。予が本島探検観察の眼目も此等の烏類にありたれば、次に各種の性状と記述す可し。 一、「アホウドリ」(Diomodea albatrus, Pall.)此鳥は雁よりも大にして、本邦各處の沿岸には冬期普通 に見らるる海烏なり。海上に浮び、漁船に近づき、漁夫の獲物を奪去るを以って漁者の悪む處なり。

其飛立つや先づ波上を蹴て立ち、四五間走●して後、其の広き羽翼と延ばし空中に飛揚す。其の飛翔カの大なる他に比類を見ず。終日休むをなく、又飛翔の間五分乃至七分に一回羽●するにずきず食を求むるに富りは波上に浮ぶ。然れども潜くりて水中の魚を捕ふるに至らず、魚の表面に浮ひ来るを待て●むなり。「アホウドリ」の名は一般に通ずれども、地方によりて其名称を異にす。オキノタイフ(長州)、ライ(筑前)、ヲキノゼウ(伊予)、ドウクロウ(土佐)、バカドリ(相州)等の名あり。 英語の所謂 Steller's Albatross は乃ちこれなり。体の大なる者は全長二尺五寸に達し、双翼を広くれば七尺五寸余に至る。重量は予の測りし中最重き老鳥にて、一貫五百目あり。脚は比較的短きも●は長く、且つ嘴は著しく長大にして六寸余に至る。 其の色は美なる肉色を呈し先端は●状に曲りて、甚だ鋭し。老成の鳥は羽翼白く、唯頭●の上部と体の背部及翼羽尾羽の一部は黒褐色を呈す。然れども生後一年及ぴニ年目の若き鳥にては、黒褐色部多くして、殊に雛にありては全身悉く暗黒色なり。元来本邦に産するとして 知られたるクロアホウドリ(Diomedea derogata, sw.)は此種の生後一年目位の幼鳥なり。或学者は「クロアホウドリ」を「アホウドリ」と全く別ににし、或学者は二種を一とする等其間に異論あり。

予は在島中「アホウドリ」の老幼種々の生きたる鳥に就き研査せるに、此鳥の幼時には独り羽翼の黒きのみならず、脚及び嘴も黒色を呈し、白き老鳥と比する時は全く別種の観あり。然れども数多の鳥を見れば其黒色の多少に差ありて、順に之を列ふる時は、其の間に明なる限界なし。是れ予が前二種を同一種とし、然も「クロアホウドリ」を「アホウドリ」の幼鳥とする所以なり。此鳥は本島に渡来するは、九月の末より十月の初旬なり然れども年により小遅速ありと云ふ。鳥は看島後交尾し、其の後十日位にして営巣す。渡来の初期には、白羽の老烏多く、若き島は遅れて十二月より一月の間に来る。本島に信天翁の最多きは一月より三月の間なり。今や鳥大に減少して又昔日の如くならず。二三年前にありては、全島の大半は烏を以て満たされたりと云う。

鳥の巣を営むや、地上に●し、周囲の土を嘴にて●きよせ、ロ中より出す液にて固め、高さ七八寸、直径一尺四五寸の円錐を築く。頂上の中央は凹にして、中に枯葉等をしき、以て営巣の業を終ゆ。後凡そ四五日にして一卵を産み、孵化する迄は雌は之を抱きて巣を離るる事なし。(或は云ふ雌雄は相交代して抱卵すと、予は実見せされば何れか是なるを知らず)一雌一雄は此鳥の常態なり。然れども外観上雌雄を区別し得る要点を見ず。

卵は大にして一様に白く、鈍端には幾多の褐色の班点あり。予が得たる卵中最大なるは長径一 二、二セメ、短経七、六セメあり。然れども卵の大さ並に鈍端に於ける斑点等には差異多し。卵は凡そ三十日許にして羽化す。雛は極めて形醜く、遠方より望む時は黒き徳利の立つに似たりと、或人の形容又以て其形状を想像するに足る。雛は全身艶なき黒色の長き毛羽を以て被はれ、巣の傍に止まる。親鳥の海上より帰り来るを待ち嘴を以って親の嘴を●き、以て食を求む。親烏は胃中より半消化せる、食物と黄褐色の液とを吐き出し口を開けば、雛は直ちに其嘴を以て之を餌むと云ふ。或一説に親鳥は、食物を直ちに嘴より雛の口中に入れ興ふると云へり。之れ嘴の構造より考ふれぱかくする方尤らしきも。予が実験せざる處なれば何れか是なるを知らず、暫く記して後の観察を待つのみ。

雛はかくして養われ、四月頃迄は親に伴う。四月末より五月の間に親鳥は先ず此島を去り、次で雛は相群集して低き海岸より波上に遊き出て、両三日は恰も飛行遊泳の練習をなすものの如し。遂には雛も又島を去るに至る。但し此時には雛の毛羽は全く脱し、新たなる黒色の羽翼完備するなり。予等が着島せし時は期巳に遅くして信天翁群集の偉観る見る能ぱざりしも、尚立ち遅れの鳥十羽二十羽位、此處彼處に群集して残留せるを認めたり。

島の去来は、必ず多少風ある時に於いてす。島内赤河原馬追原及び東宿等の海に面せる広場に来着し隊伍を作くり、山と山との間の低所より島の内部に入込み。各自産卵の場所を選定す。鳥の好て営巣するは「ビロウ」「ガジユマル」等の林中又は蘆藪等にして、累々たる円錐形の古巣尚存し むして、恰も「コバ」のの切株に似たり。島の通路は略一定し、且つ群集して歩むを以て、恰も市街の道路の如く草を生せず。 故に其の通行の跡を尋ぬるを容易なり。烏は北風の時には多く赤河原に下りて、信天山の東麓より溝河原に集り更に林中又は藪中に進む。東宿の方面に到着せる者は或は、直に永康山に入るもあれども、多くは其通路により「ナベクボ」に集り、千歳山及ぴ其の附近の樹林中に入る。島内より出つる時は、大むね元の途をたどりて、海岸の広野に出て、風に向て飛揚し去る、其飛ぷに当りては、必ず丘上又は●等の一段高きより事。故に烏を捕ふるに当り、之を上より下へ逐へば忽ち飛立つも、低きより。高きに追ふ時は、唯翼を延ばして走るのみ、是れ翼の脚に比して長大にすくるが為めなる可し。

信天翁の食物は主として魚類及び頭足類等なるが如し。予が鳥の胃を剖検して、中に魚骨「イカ」の「トンビカラス」と石炭滓の少量を得たり。此島は甚だ暴食をなす者にして、腐敗せる魚等をも餌むを稀ならずと云ふ。又在島者の言によれば、島上に多き「ヨシ」及び「ニガナ」等を「アホウドリ」は食する由なれども此等の植物は烏の主要なる食料にはあらざるべし。

鳥の鳴声は一種の奇音にして、恰も●牛の吼ゆるに似たり。人若し追窮すれば、●●として長翼を延ぺ走ると●も、遂に逃るる能はざるに至り、長き鋭嘴を嗚らし反抗す。其の極胸を曲げ●を縮めロ中より黄褐色の液汁を吐出す。この液は雛を養ふ者に同しく、一種名状す可からざる●臭あり。人若し一たび之を嗅げば忽ち嘔吐を催すに至る。鳥が窮追に遭ひ臭液を吐くは、自家防衛の 一手段と云ふ可し。烏は其命甚だ脆く后頭に一打を享くれば忽ち●る。故に此烏を採集する者の手には、棍棒あれぱ足り、敢て他具を要せざるなり。又注意して烏の背後に廻り、直ちに●をつかめぱ容易に生●し得可し。

島の体殊に羽毛の臭気は特異にして、長く脱せず、之れ水禽類には特に発達する皮脂腺の分泌する處ならん、然れども皮下の肉に至りては、其臭気羽毛の如く、甚しからず。亦味を帯び軟和なり、在島者等は喜て之を食ふ。但し食する前一日位海水に浸し置きて、其臭気を脱せしむと云う。又烏の体には脂肪多きを以て、之を紋る時は、透明なる油を得可し在島者は夜間此油を点燈の用に供す。

鳥の皮膚には一種の虱寄生す。黒色にして形大なり。又巣の中には一種の「ダニ」ありて、往々人身に伝播して患害を来すをありと云へり。予は虱を獲たれども「ダニ」は一も見ざりき。 此烏の羽毛は本島の重要なる産物にして、開島以来採●せし高は巳に十数萬斤の多額に上れり。而して之が為めに撲殺せられし鳥数は又夥しく、屍体は積て山をなし、島内各處に白骨の累々たるを見る(前巻に挿入せる図中白く見ゆるは烏の白骨なり) 此等の骨も亦骨粉とななぱ、農家に須用の肥料たらん。予は初め鳥の棲息の●多なるより、「グアノ」の存在を疑い、百方捜索せしも、遂に発見せざりき。是れ本島には降雨の可なり●繁なるが故に、烏糞堆積するに至らず、皆流れ去るによるならん。

●往三四年間に於ける「アホウドリ」の採集は、其方法の宜しきを得ざりし為め濫獲に陥り。 今や其結果の争ふ可からざる者あるを認む。在島者の言に微するに三十二年秋期より本年春に至る鳥の最多き期節にも、鳥数は大に少く、且つ営巣産卵する者の如きは、殆ど数ひ得る程の少数なりと。又本年度探集の烏羽を検するに、黒色羽毛甚た多し。之れ未だ成熟期に達せざる幼鳥を撲殺せし●なりとす。且り鳥内各處に残留せる烏の巣に就いて検するも、前年度に於ける巣と本年度の者とは其数に於ても又其構造に於ても著しき差異あるを認む。乃ち数年前の巣の高さは七八寸ありたるに。一昨年の者は五六寸にすぎず。次に昨年の巣に至りては、僅かに四寸乃至三寸五分に減ぜり。又巣と巣との間隔も、古き巣にては、二尺乃至三尺位なりしに新しき巣の隔りは七尺に至れり。以て巣の数の減したるを知るに足る。此鳥は生後少くも二年を経されば生産力なく、又卵の如きも一年僅かに一個を産むのみなれば、繁殖の迅ならざる者と云ふ可し。 故に若し本島の烏採集の法従来の如くならば、数年を出てずして、無量数萬の巨禽も島上に其姿を見る能はざるに至らん。是れ今日に於て此鳥を保護するの必要ある所以なりとす。

本種は小笠原の鳥島に棲息する「アホウドリ」とは全く同種にして、亜細亜、亜米利加の沿海乃ち太平洋には普通の種類なり。其の分布、北は千島より南は清国「アモイ」「チーフー」に至る。但し生殖地として今日迄吾人の知る処、本邦内にありては、小笠原群島中の鳥島(一名三子島)と、本島を含める尖閣列島なりとぞ。 「クロアシアアホウドリ」(Diomedea nigripes, Aud.)前種に酷似すれども全身は黒色にして遥かに形小なり。嘴及ぴ脚も亦黒くして、在島者の間に「クロカガー」の名を以て知らる。英語の所謂 Audubon's Albatross は乃ち是なり信天翁と伴いて棲息し、其の習性等は略相似たり。然れども之を前種と比較するに、本島には其数少なく、且渡来の期も少しく遅し。在島者の供述によれば、此種は前種の如く島内に深く入込みて林間最中に巣を営むをなく、海岸の岩上に少許の草等をしきて産卵すと伝ふ。卵は又一巣一個にして、「アホウドリ」の卵より少しく小なり。予が絵たる卵は其の数少なきを以って茲に平均数を挙くる能はざれども、一卵の大きさを記さんに、長径一〇.四セメ、短径七セメあり。

その他鈍端に於ける斑点の状等は「アホウドリ」の雛に等し、十二月の頃に雛多く孵化し出つ。雛の羽は全く黒色の羽毛にして、「アホウドリ」の雛に異らず、一見判別し難きが如きも、嘴の短きを以て「アホウドリ」の雛と区別し得可し。翌夏六月の候、雛も成育して此島を去る。此鳥の羽毛は黒きを以て価格低く。その数も亦少なきを以て重要見せられず。 本種の分布に至りても、略前種に等し。「ベーリング」海峡以北には末だ見られしをなきも、之より以南の太平洋上には、極めて普通にして、「アホウドリ」と混し、台湾沿岸に至り。本島の外亦小笠原諸島にて繁殖す。

「オホミヅナギトリ」 Puffnus leucomelass (Tem.) 本島居住者の主要なる者にして、大きさ鴨に及ぱず。体の背面は褐色を是す。各羽の先端は、大概暗色と呈するを以て、一般に「カスリ」様の観あり。 然れども体の下面殊に腹部は純白にして、美しく且つ甚だ柔かなり。嘴は「アホウドリ」に似て、尖端下向し、角色を呈す。脚は之れに反し、薄赤き肉色を帯ぶ。在島者間には「カゴ」の名にて通じ、英語のSiebold's なる者は此種なり。此鳥の本島に多く来るは五月初旬にして、予等の赴きし時は恰も其盛期なりき。毎日夕方に及べば無料数万の鳥群は海面を被ふて飛び、実に夕陽の残照と相対して一大偉観たり。烏の島上に下る際仰ぎて空中を見れば、其の光景夏の夕、軒下に群がる蚊軍の如し。夜間は皆島上に留まりて、終●「ピー、クー」の奇声を発し、殆ど吾等の安眠を妨げたり。

烏は島内何處にもありて、樹根又は石下寺に三尺位の横穴を穿ち其の中に棲息す。各孔には必ず雌雄の鳥あり。予等在島の際は未だ産卵期に達せず、為めに実験する能さりしも、五月末より六月中旬迄は此烏の繁殖期にして、烏は各其穴の中に一卵を生むと云ふ。鳥の渡来盛なるに至れば、●處狭●を告げ、為めに穴を穿つに至らずして、地上に産卵する者多し。卵は三週間を出でずして孵化し、雛となる。雛の羽毛は全身一様なる「カスリ」色にして、十月初旬の頃生育して飛去る島上に在る巨数の鳥は、夜間穴を出でて地上を駆け巡り、其の喧しき名状す可からず。在島者のこの烏を捕ふる法は甚だ簡にして、然も有功なり。●ち山の半腹に深さ三四尺の長方形の穴を穿つ。穴の四壁には「ヨシ」の茎又は樹枝等を建て鳥の土を掘るを防ぐ。 穴の上には極めて卑しき斜めの屋根を作りて烏をして飛出づる能はざらしむ。又穴の入ロ両側に高さ一尺位の垣を六より上へ向け倒八字形をなす様に築く。烏は高處より降り来る際、此垣に沿ふて歩み、遂に穴中に陥り長翼も亦用ゆる慮なく再び穴の外に出去る能はざるなり。故に毎朝穴を検すれぱ二三百羽の烏は穴の中にありて、其混雑する状は又一奇観なり。 此種は日本朝鮮近海に普通に見らるる鳥にして、其分布北は函館に至り、南は「フィリピン」諸島に及ぶ。

四「クロウミツバメ」の一種(Bulweria bulweri (Jard.))前者よりも遥かに小にして、全身は●なき黒色の羽毛を以って被はる。 在島者は之を「フーカヤー」と呼ぶ。英名(Bulwer's Petrel)は乃ち此種なり。其飛 ぺる様、翼長くして燕に似たり、此島も亦管鼻類の一種にして前種と略同時に渡来し、其習性も相類す。但し前種よりも其数少し。岩石等の根に浅き穴を穿ちて棲み、此中に一卵を産む。之も亦一孔に雌雄あり。地下に「クークー」の奇声徴かに聞ゆるは此鳥の鳴くなり。卵より孵化し出てたる雛は黒く、九月初頃に至れば翼羽備わりて此島を去る。此鳥は温帯の海洋に広く分布す。本邦内にては、本島の外小笠原群島諸處に多く棲息す。

五、「ヲサトリ」一名「カツオドリ」(Sula Sula, Cat.)前四種とは大に異れる海禽にして其数多し。多く皆海岸の絶壁上にありて、島内に入り来らず。本島棲息者の中最も人を恐れ、忽ち飛去りて、捕まるを容易ならず。体は鴨よりも少しく大きく、頚は甚だ長し。成育せるものは全身紫黒禍色にして、唯腹部一帯と翼下等は純白なり。嘴は真直にして尖り、緑青色を呈す。顔面は裸出し。丸き眼は銀白色の虹彩を有し、其容貌大に意地悪しきものの如く見ゆ。脚も亦蒼色を帯び、行歩の状甚だ醜し、岩 上にあるや大むね海面に向ふ、故に在島者は「ムカイドリ」と称せり。英語の所謂 Booby gannet は之にして、主に魚類を食す。特に鰹等の群集するや、此島附隨して離れず。故に漁師等は魚族の来集を判する目標となすと云う。之れ「カツオドリ」の名ある所以なり。予が着島の時は恰も此烏の産卵期にして海岸の岩上に巣を営むを見たり。巣は単に岩上平らなる處、「ハママン子グサ」等をしきたるもににて、其上に二乃至三粒の卵を産む。鳥の巣は絶壁人の近く能はざる処に多きも、又近づき易き處にもあり。 予は島内巡回の際、二時間にして四十五の卵を得たり。卵は家鴨卵大にして蒼白色を呈し、表面は恰も白粉を塗りたるが如く、質脆弱なり。試に之を食するに、味又決して不佳ならず。雛は親と全く異なりて鈍白色の毛羽を有し、後交脱し、羽翼生ずれぱ此島を去る。 この烏の渡来し初むるは二月頃にして、五月に至り査卵し、九月末より十月の間に飛去ると云ふ。朝鮮日本近海には普通にして、尚南方は「フィリピン」諸島より豪州の北岸に至るまで、分布しこの烏の生産地としは本島の外に尚小笠原島あり。

以上記述せる海禽五種は本島の重なる棲住者にして、各種は相交代して常に孤島の寂●を破る。実に黄尾島は此等海鳥の郷土なりと云ふ可し。海禽の通性として、他の期には諸処に飛行けども、産卵期には必ず此島に帰来る。以上の五種は皆何れも一雌一雄にして。然れども雌雄は外観上区別し難し。特に注目するに足るは、本島所産の鳥が何れも遠く隔たりて、然も緯度の異れる小笠原諸島に産し、彼地に於て又繁殖するを是なり。然るに又尖閣列島中にありても僅に海上十五 哩を隔つるにすぎざる魚釣島小島の生住禽類は、本島と差異あるを見る。予は親しく魚釣其他の島嶼を踏査する能はざりしも、黒岩氏等の視察によりて、略各島に於ける鳥類棲息の状を知るを得たり。「アホウドリ」、「クロアシアホウドリ」「ヲサトリ」等は各島に共通なれども島によりて其多少を異にす。倒せぱ魚釣島には「アホウドリ」多からずして反て「クロアシアホウドリ」の多数なる、又「ヲサドリ」の小島、黄尾嶼に多くして魚釣島に少なき等の如し。

又黄尾島に多き「ミズナギドリ」「クロウミツバメ」は魚釣島及ぴ小島に棲息せず。反て本島には其影たにも見ざる「セグロアヂサシ」(Sterna fuliginosa, Gm.)及び「クロアヂサシ」(Anous stolidus, Gr.)等の無量数百萬の群棲するが如きは、最著しき点なりとす。殊に「アヂサシ」が「ヲサトリ」と共に黄尾嶼の東方四十八海里にある赤尾嶼上にも生息するは海烏の生態上面白き点なしとせんや。かく相近き島にして棲息する鳥の種類に差異あり。相離れたる島にても相同しき等の現象は、如何なる関係によりて来るや。勿論烏の棲息地たる島上の状態も其の因の一なる可しと雖も、其食物は此般の異同を支配するに最カあるにあらざるなきか。海禽の種類異なるによりて、其食物に差あるは有勝の事にて、且つ其食物は、海産物なれば、海禽棲息の異同を以て又其附近の海産物を察知する事を得ん。 現に小笠原島の中「アホウドリ」の棲息するは鳥島乃ち三子路にて、其附近には二三の小島ありて、其島上の状態等は相異らざれども、一も「アホウドリ」の棲息するを見ずと云ふ。然るに反て遠く離れし尖閣列島中の本島に同種のもの多し。是れ信天翁の食物となる可き海産動物の相同しきにはあらざるか。未だ両處の動物界の概況をだに如らざれぱ、明ならざれども海中の動物中にても、「カキ」の如きは同種にして、又「クダサンゴ」の如きは両處に棲息す。かく記するも海禽の繁育は温度の関係に因るは勿諭なり。只其相接せる島に於て、棲息者の著しく異るは烏の食物となる可き生物の彼我相異なるに帰することならんとの考を述ぶるのみ

結尾
海禽の用途一にして足らず。其の肉と骨とは占粕として肥料に供す可く、油は以て工業上に使用するに足る。然れども最も貴重なるは、島の羽毛にありとす。羽毛を種々の用に供する事は本邦にありては未だ盛んならずと雖も、欧米各国に於ては、装備品に供し、或は臥床等に用い年々羽毛を輸入する事巨額なり。而して本邦のみより海外に毎年輸出する島羽の額又決して少からず。外務省輸出入統計表に就て見るに、明治廿四年以降昨年度に至る鳥羽輸出斤商及其価格は次の如し。
24年327,3874556176
25年307,7064654824
26年340,5506609810
27年367,9197608681
28年253,9706595302
29年390,5128498276
30年467,32213132786
31年542,15113593556

其輸出額は年を追うて増加し、31年度に至りては実に五十四万斥以上に上り、その価格又十三万五千回以上の巨額に達せり。而して其輸出先の重なる所は、英国、独逸、佛国、北米合衆国、支那香港等なり。輸出羽毛の種類は、大別して陸鳥の羽毛と鷲類(水禽)の羽毛の二種とす。中鷺類の羽毛は、百斤に付四十円の価あり、殊に其羽毛の如きは、百斤に付百円の価を有すと云う。陸鳥の羽は鷲類の比にはあらざれども、尚百斤十三四円の価あり。現今輸出を営む商会の重なる者東京に野澤組あり、大坂に毛熊商会あり。尚上記の羽毛の種類の外に信天翁及其他海鳥の羽毛は、其産額詳ならざれども、昨年度にありては、小笠原及び沖縄の両鳥島(黄尾島)にて少くも十五万斤を下らずと聞く。 其価額に至りては鷲類に劣れども羽百斤に付三十円内、外毛羽は七八十円の値あり。 故に其総額金四五万以上に達す。是れ又有用なる本邦の一物産なりと云ふ可し。小笠原の島島は已に移住民ありて凡そ十年以来其業を営み、絶海の遺利已に世にあらはる。沖縄県下の鳥島に至りては、久しく絶海の裏に捨てられ世に出てず。然るに今やこの無人島も開拓せらるるに至れり。 事業着手後日尚浅きも、古賀氏該島に道路を通し、波止場を修め、飲料水の「タンク」等を設けて、沖縄県人を移住せしめ、業又略その緒に就けり。事一私人に属すと雖も孤島開拓の業や●し又容易ならず。吾曹は国家の為め此種の事業の多く経営せらるるを喜ぶ者なり。些か予が踏査して見聞せし所を記して、世に紹介するを●。

この稿を終わるに臨み、予が今回の探検は一に我恩師理学博士・箕作佳吉先生の懇篤なる勧誘と奨励とに依りて起こりたる者なれぱ、茲に深く感謝し、又此行に当たりて少からざる便宜を興へられたる古賀辰四郎氏、三木本幸吉氏、沖縄県知事男爵・奈良原繁氏、元沖縄県参事官・岡田文次氏、及ぴ其他厚遇を辱ふせる在沖縄の諸彦に向て鳴謝し、尚今回行を同ふし、常に其労を共にせられたる八重山島司・野村道安氏、沖縄県師範学校教諭・黒岩恒氏、並びに永康丸船長・佐藤和一郎氏等に向て深く感謝の意を表する所なり。
明治33年11月10日  京都帝国大学大学院に於て記す



猬(イ)
拂(フツ・ホチ、はら・う)
軀(ク、み、からだ)