米子市立図書館所蔵の竹島資料



竹島漁業資料 資料データ
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<上記資料の説明>
橋岡忠重は隠岐島・西郷町の有力者である。中井養三郎は西郷町長でかつ漁業組合長であった。そして中井は竹島漁猟合資会社を設立し、島根県の許可を得て竹島で漁をした(03)。アシカ猟は当初は大猟だったが、大正末期から昭和初期には乱獲により激減した。結果漁猟会社の経営が先細りしたのである。そしてアシカの繁殖を図るため、6年間捕獲が中止された。そして中井から漁猟会社の経営権を引き継いだのが、冒頭で説明した橋岡忠重である。捕獲が再開されたのが昭和8年。収入は800円、捕獲数8頭、支出が2042円(内人件費が13人で780円)。この年は赤字(800円-2042円=-1242円)であった(30)。翌昭和9年も収入2250円の支出2460円で赤字であったが(31)、昭和10年には好転する。この年は春(31)と秋(32)の2回行った。

昭和10年春 収入4860円 支出3630円(内人件費が17人分で1900円)
昭和10年秋 収入4000円 支出2300円(内人件費が10人分で1000円)

写真(50)を見ると12人の男は全て日本人男性で左から4番目が橋岡忠重である。右側には韓国人海女4名がいるのが分かる。彼女達はアワビやわかめを採っていた。春の収支決算書を見ると、漁夫13人で1300円であるから一人当たりの給与は100円であるが、韓国人海女4名で600円であるから、一人当たりの給与は150円である。海女の力量は高く評価されていたことになる。また、秋の報告書ではアシカをサーカスに売って利益を得たのが分かる。橋岡忠重はインタビューされた新聞の切り抜きも添えて「竹島漁業資料」として米子市に寄贈した。




郷土資料 村川家附竹島渡海(写し) 資料データ
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