鬱陵島図形 in 1711

鬱陵島図形
鬱陵島図形 - 東西南北を現代の見方に合せた図



辛卯五月十四日自倭舡移舟待
風雨拙書一句以標日後(刻立卯岩木於方上)
萬里滄溟外將軍駕桂舟平生伏忠
信履險自無漫搜討官折衡將軍三
陟營將兼水軍僉節制使朴昌錫軍
官折衡朴省三金壽元倭學朴命逸

鬱陵島水土官だった朴錫昌が1711年に作成した図。「辛卯五月十四日、倭船倉より舟を風待(かぜまち)所に移して一句を拙書し、以(よ)って日後の標とす。(中略)捜討官折衝将軍三陟営将兼水軍僉節制使朴錫昌(以下略)」とある。この図には多くの山が描かれているが、中央に三つの突出した大きな山がある。これは現在の聖人峰、マルジャンドゥン、チュンドゥボンに該当する。つまり三峰島とは鬱陵島の事であり、決して現在の竹島/独島でないことが分かる。またこの図には「所謂于山島」とあり、そこには「海長竹田」の表記がある。韓国は于山島は竹島/独島だとしているが、竹島には竹が自生しておらず、これは鬱陵島の直ぐ東2km沖にある竹島(チュクド)であることが分かる。