りゃんこ島領土編入並に貸下願

外交資料館に所蔵してある『帝国版図関係雑件』に、明治37年(1904年)中井養三郎という人が、竹島においてアシカ猟を行うため政府に竹島の領土編入及び貸与を願い出た資料がある。 1903年5月、隠岐島に住む中井養三郎が現在の竹島でアシカ漁を始めた。だが、領有権が明確でないために他国とのトラブルなど、不測の事態を招く恐れがあった。間もなく、過当競争による乱獲の弊害も出始めた。中井によると、1904年には山口県の岩崎という人物らが鬱陵島の朝鮮人を雇って、現在の竹島でのアシカ漁に参入した。そこで、中井は04年9月29日に竹島の領土編入と貸し下げを内務、外務、農商務省の三省に願い出た。下記の写真はその『帝国版図関係雑件』の表紙である。








------ 1904年9月29日 中井養三郎から政府への貸下願い ------

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りゃんこ島領土編入並に貸下願
隠岐列島の西八十五浬、朝鮮鬱陵島の東南五十五浬の絶海に、俗にりゃんこ島と称する無人島有、之候、周囲各約十五町を有する甲乙二ヶの岩島中央に対立して一の海峡をなし、大小数十の岩礁点々散布して之を囲繞せり。中央の二島は四面断岩絶壁にして高く屹立せり。其頂上には僅に土壌を冠り雑草之に生ずるのみ

全島一の樹木なし。海辺彎曲の処は砂礫を以て往々浜をなせども、屋舎を構え得べき場所は甲嶼の海峡に面セル局部僅に一ヶ所あるのみ。甲嶼半腹凹所に潴水あり。茶褐色を帯ぶ。乙嶼には微々たる塩分を含みたる清冽の水断岸渭滴仕候。船舶は海峡を中心として、風位により左



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右に避けて碇泊せば安全を保たれ候

本島は本邦より隠岐列島及び鬱陵島を経て朝鮮江原、咸鏡地方に往復する船舶の航路に当たれり。若し本島を経営するものありて人之に常住するに至らば、夫等船舶が寄泊して薪水食糧等万一の欠乏を補ひ得る等、種々の便宜を生ずへければ、今日暇駸々乎として盛運に向ひつ々ある処の本邦の江原、咸鏡地方に対する漁業貿易を補益する所少なからずして本島経営の前途最も必要に被存候。

本島は如斯絶海に屹立する最爾たる岩島に過ぎざれば、従来人の顧るもなく全く放委し有之候。然る処、私儀鬱陵島往復の途次会本島に寄泊し、海驢の生息すること夥しきを見て空しく放委し置の如何にも遺憾に堪へざるより爾来種々苦慮計画し兪、明治三十六年に至り断然意を決して資本を投じ、漁舎を構へ、人夫を移し漁具を備へて先づ海驢猟に着手致候。

当時世人は無謀なりとして大に嘲笑せしが、元より絶海不便の無人島に新規の事業を企て候事なれば計画齟齬し設備当を失する所あるを免れず。剰へ猟法製法明かならず。 用途販路亦確ならず。空しく許多の資本を失ひて徒に種々の辛酸を嘗め候、結果本年に猟法製法其に発明する所あり。販路も亦之を開き得たり。而して皮を塩漬にせば、牛皮代用として用



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途頗る多く、新鮮なる脂肪より採取せる油は品質価格共に鯨油に劣らず。 其粕は十分に搾れば、以て膠の原料となし得らるべく肉は粉製せば骨と共に貴重の肥料たること等をも確め得候。即ち本島海驢猟の見込略相立ち候。而して海驢猟の外本島に於て、起すべき事業陸産は到底望なく海産に至りては、未だ調査を経ざるを以て今日確信し難きも日本海の要衝に当れば、本島附近に種々の水族来集棲息せざる筈なければ、本島の海驢漁業にして永続する事を得ば因て、以て試験探査の便宜と機会とを得て将来に有利有望の事業を発見し得るならんと相期し候。

要するに本島の経営は資本を充実にし設備を完全にして海驢を捕獲する上に於て前途頗る有望に御座候。

然れども本島は、領土所属定まらずして他日外国の故障に遭遇する等不測の事あるも、確乎たる保護を受くるに由なきを以て本島経営に資力を傾注するは尤も危険の事に御座候。又本島の海驢は常に棲息するにはあらず。毎年生殖の為其季節即ち四五月(年により遅速あり)、来襲し生殖を終りて七八月頃離散するものに候。

随て其漁業は其季間に於てのみ行ひ得られ候。故に、特に猟獲を適度に制限し、繁殖は適当に保護するに非んば忽ち駆逐殄滅し去るを免れず。而して制限保護等の事は競争の間には到底実行し得られざるものにて、人の利に



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趨くは蟻の甘きに附くが如く世人苟くも、本島海驢猟の有利なるを窺い知せば当初私儀を嘲笑したるものも並び起つて大に競争して濫獲を逞うし、直ちに利源を絶滅し尽して結局共に倒る々に至るは必然に御座候

私儀は前陳の如く従来種々苦心の結果本島の海驢猟業略々見込相立ちたれば、今や進んで更に資本を増して一面には捕獲すべき大さ数等を制限すること、雌及び乳児をば特に保護を厚くすること島内適当の箇処に禁猟場を設くること害敵たる鯱(しゃち)、鱶(ふか)の類を捕獲駆逐すること等、種々適切の保護を加へ一面には猟獲製造に備ふる種々精巧の器械を備へ装置を設くる等設備を完全にし、傍には漁具を備へて他の水族漁労をも試む等大に経営する所あらんと欲するも、前陳の如き危険あるが為頓挫罷在候。 如斯は啻(ただ)に私儀一己の災厄のみならず、又国家の不利益とも被存候。 就きては事業の安全利源の永久を確保し、以て本島の経営をして終を完うせしめられんが為に、何卒速に本島をば本邦の領土に編入相成、之と同時に、向ふ十ヶ年私儀へ御貸下相成度、別紙図面相添此段奉願候也。



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(右ページ)
明治三十七年九月二十九日

島根県周吉郡西郷町大字西町字指向
中井養三郎

内務大臣子爵芳川顕正 殿
外務大臣男爵小村寿太郎 殿
農商務大臣男爵清浦圭吾 殿





------ 1904年10月15日 中井養三郎出願の件 ------

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島己第五号
島根県西郷町中井養三朗よりりやんこ島領土編入並に貸下の件、別添写しの通り願出候処。右に関し貴省の御意見承知致度。此段照会候也。

明治三十七年十月十五日

内務次官 山縣伊三朗

外務次官 珍田捨己 殿



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一 位置
東経百三十七度五十五分
北緯三十七度十五分

一 凡例
海驢(アシカ)生息地
砂礫(されき)
漁舎
潴水(ちょすい)
滴水(たるみず)
船艀碇泊場

※これら写真の転載を希望する方は外務省外交資料館へ問い合わせて許可を得て下さい。