遭難者住所氏名


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高規第200号
大正9年1月31日 沖縄県知事・川越壮介
内務大臣・床次竹二郎殿

支那人漂着に関する件
本月16日、電報致置候支那福州漁民、海難に関する状況左記の通に有之候條此段及び報告候也。

一 遭難者住所氏名
支那国福建省泉洲府恵安県白奇郷
船主並船長郭 合順38歳 郭 鵠11歳
舵手郭 得勝50歳郭 細北42歳
郭 緌琉16歳郭 喝成20歳
郭 心法14歳郭 細棟36歳
郭 細喝16歳郭 馬腰11歳
張 細模16歳郭 扁頭40歳
郭 豚頭11歳郭 細候35歳
郭 圓目20歳郭 秋挿11歳
郭 草鞋38歳郭 凹鼻46歳
郭 鳥匏18歳江 頭45歳
郭 矮棟41歳郭 承老48歳
郭 和42歳郭 童大55歳
郭 主直22歳郭 九六60歳
鄭 馬送52歳郭 実法11歳
郭 夭夫54歳郭 某11歳

二 遭難及び救護の状況
前項三十一名の者は客年十一月下旬、船名・金合丸(長さ52尺、幅18尺)帆船に乗組み、福建省を発し浙江省方面に出稼ぎ漁業中、客年十二月二十六日、暴風雨に遭遇し船体風波の為め動揺激しく転覆の恐れあるより之を避ける為め、帆柱を切断せしにより全く航行の自由を失し、唯自然に任せ波涛に翻弄せられ漂流しつつありしが、同月三十日夕刻に至り、管内八重山郡石垣村掛尖閣列島の内、和平島と称する小孤島に漂着したるを以って、搭載せる短艇三隻を下し全員分乗して上陸することを得たりしが、一同は既に食糧盡き飢餓に迫り居りたるも、幸いに同島には古賀善次なるものの漁業事務所ありて漁夫其の他三十余名の居留民ありしがは、その貯えある食料を分與せられ、救護を受け続けて天候不良なる為めその事務所の救助を受け滞在し、本月10日に至り天候漸く回復せしを以って、古賀の所有漁船に依り遭難者全員を石垣村役場へ輸送し来り。爾来同村に於いて旅舎に収容保護中なり。而して彼等の乗組み船は和平島上陸後風波の為め破壊せられ、船具・船体共全部流失したりと云う。

三 遭難者の処置
遭難者は目下石垣村役場に於いて救護を為し、一面在長崎支那領事の取引方交渉中なり。



<解説>
沖縄県知事は内務大臣に再び公電を打っているが、時間が経過しているだけに公電の内容は実に詳細になっている。以下時系列。

年月日出来事
1919年11月下旬福建省泉洲府を出航し、浙江省方面に出稼ぎ漁業。
1919年12月26日暴風雨に遭遇し、転覆回避のため帆柱を切断。その後4日間漂流。
1919年12月30日魚釣島に漂着し、魚釣島の島民によって救護される。
1920年01月10日漂流中国人を古賀の所有漁船に乗船させ、魚釣島から石垣村役場へ輸送。

この公電に出てくる「和平島」とは現在の「魚釣島」のことである。そして事の重大性から警務課長や警保局長が閲覧していたことも確認できる。遭難者は31名となっているが、実際の名簿を数えると30名なので恐らく記載漏れなのであろう。